Vol40 Cliffrose Letter Apr.22.'06 イゴール氏と大山氏

 Vol.40 Cliffrose Letter Apr.23.'06    イゴール氏と大山氏


 カナダは面白い国である。ここで出会う人々の持つさまざまな問題が、
かつて、または現在の世界情勢を反映している。カナダが、多くの移民や
難民を受け入れるせいであろう。

 出会えたさまざまな人々の話は、CliffroseLetterでも書いているので
ご存知の方も多いと思うが、その中のイゴール・レベンコとの後日談である。
http://www.cyanagitani.com/sub8/09uraniwa00.htm
http://www.cyanagitani.com/sub8/10clifflett00.04.htm

 イゴール・レベンコは、ご存知のようにブラウンベアーに食われた星野道夫
のカムチャッカ行を案内したインスティテュートのプロフェッサーである。
 
 ある日、アラスカに住む日本人だという見知らぬ人からメールが入った。

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 初めてお便りいたします。
 私は、アラスカ在住の大山卓悠(おおやまたかはる)と申します。
 偶然、貴サイトで「イゴール・レベンコ」の名を見つけました。私は、
ロシアカムチャツカで亡くなった星野道夫さんの友人でした。事故
当時から、イゴール・レベンコ氏に一度会い、事故のことをお聞き
してみたいとずっと思っていました。事故当時のTBSのスタッフの方
とお会いすることはできましたが、詳しいことは聞けずじまいでした。
もっとも事故直後でしたから、発言がはばかれることもあったと思います。

 年が明けると事故から十年になります。私はあの事故以来、人生が
止まっています。カナダ・カルガリー大学のスティーブ・ハレーラ教授の
著書「ベアー・アタックス」を翻訳して、どんなクマが星野さんを襲った
のか解明することができましたが、いま一つ釈然としないものを持ち
続けているのが正直なところです。何処かで自分自身のなかにピリオド
を打たなければならないと思っています。失礼でなければ、レベンコ氏
に連絡を取りたいと思うのですが、ご紹介していただけないでしょうか?
アンカレッジに住んでいますから、機会を見てバンクーバーに出向くこ
とも出来ると思います。

〔 事情がわかりやすいので、彼に許可を得て事情説明代わりに使わせ
ていただいた。〕
・・・・・・・・・・・・・

  確かに星野道夫の死は劇的で、悲しいショックを多くの人に与えたとは
思う。しかし、あれから十年、いまだ時が止まったままというほどのものを
持ち続けているという大山氏がどのような人なのか、私には興味があった。

 程なく、彼はわが木賃宿にやってきた。イゴール・レベンコ夫妻に連絡を
とり彼らの家に赴いた。

 かつてロシアで歯科医であったイゴールの妻イリーナがカナダでライセンス
を取り直すのに、わずかでも資金援助が出来たらと考えていた私が、一番驚
いたのは、彼らがすばらしい眺めの素敵な家に最近越していたということである。

 移住したばかりの頃はお金もなくて、多分難民としてカナダからの多少の
援助はあったかもしれないが、細々と専門違いのEuroFoodの食料品店を
はじめたばかりであった。あの頃イリーナは、カムチャッカではお給料も出ず、
家具を売ったお金は紙切れのクーポンのようなもので、それもモスクワでな
いと換金できないと嘆いていた。あれから五年、イゴールの食料品店は経営は
うまくいっているようで、イリーナはIT関係の会社に勤めているといった。

 素敵なイゴールの家での久方ぶりの再会であった。相変わらずイリーナの
ロシアなまりの英語は私にはわかり辛らかったが、楽しい食卓であった。
大山氏とイゴールは小さな声で長く、ぼそぼそと話していた。

 大山氏は彼の中での、星野道夫への思いに終止符を打ちたい思いで、
彼の最後のすべてを知りたいのだと思った。ほかの人々には会ってきたけれど、
イゴールだけには会えなかったのだとのことだったから。大山氏には知りたい
ことがたくさんあったに違いない。彼らの話は長く続いた、その間、私は
イリーナがカムチャッカから連れてきたという美しい緑の目をした猫と遊んでいた。

 イゴール家のパーティの後、木賃宿に戻ってからの、大山氏の話である。
大山氏にとって星野道夫は家族ぐるみの親友であった。彼は星野に心酔
していたに違いない。部外者の私にしても、とても惜しい男を亡くしたものだと
思わずにはいられないのだから、新婚間もない幼子もいる星野家族と親しく
交わっていた大山氏には、星野の事故は受け入れがたかったに違いない。

 誰か、こういう結末に至った原因を作った誰ががいたに違いない。彼は
そう思いたかったのだという。イゴールと会っていないときは、イゴールが
案内人だったから、イゴールのせいだと思いたかったのだという。そうす
れば彼の中での「カムチャッカの夜」は明けやすいとおもったという。私が下手な
説明をするまでもない。アラスカに帰った大山氏からの手紙である。彼は
星野のことを小説に書いていたのである。メールを読んで、私は思わず
涙した。熱い男同士の友情を想って。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 その後、お変わりありませんか?
 小説を書き終わりました。何とか締め切りに間に合い、講談社に送付する
ことができました。原稿用紙は三百枚に達しました。書き終わってから気が
抜けたのか、ずっとボーッとしています。多分これでぼくのなかの星野道夫の
問題はピリオドが打てたのだと思います

 星野道夫さんの事故をこのままにしておけないと思ったのは、事故を調べて
いく過程で、彼がクマに襲われたとき泣いていたと証言した人がいたからです。
日本で発表された記事やニュースにはこのことは一切触れられていませんで
した。星野さんがクマに襲われたことを気づき外に飛び出してきた連中は、クマに
組み伏せられながらまだ息のある星野さんが声を出して泣いているのを見ている
のです。ぼくはこのことを聞いたとき、胸がつぶれる思いでした。怖かったのだと
思います。悲しかったのだと思います。もうだめだ、殺されると、絶望したんだと
思います。そのときの彼の心情を思うと、テレビ局が発表した事故の経緯を黙
って聴き流すことはできませんでした。この事故はけっしてうやむやに終わらせ
てはいけないと思ったのです。

 テントから引きずり出され、抵抗もできない強い顎につかまれたまま、恐怖の
なかで彼はすべてを諦めたのです。彼の家族との新生活も、夢も、希望も、頭に
描いていたありとあらゆることを、彼はその瞬間、量り知ることのできない悲しみ
のなかですべて諦めたのです。無念だったと思います。そんな彼のために、ぼくは
何かをしてあげたかった。しかしぼくは無力です。何からどう手をつけていいのかも
分からない。でも何かできるはずだ−−そうやって自分を励ましながら、事故の
関係者に接触をはじめました。

 ロケに同行していたTBSのスタッフ、事故現場を訪問した星野さんの大学時代の
先輩たち、アラスカ大学で動物学を星野さんに教えた教授、アラスカ猟獣局の
専門家たち、現地にいたというモンタナ大学の院生ビル・ヒーコックとアメリカの
写真家カーティス・ハイト、それに「ベア・アタックス」を著したカルガリー大学の
スティーブ・ハレーラ教授、北海道新聞で記者をする友人を通して入手したロシア
側の情報−−彼らから話を聞いていく段階で多くのことが判りました。いったい
どんなクマがどんな状況で星野さんを襲ったのか、ついに突き止めることがで
きたのです。

 しかし、それでもまだ疑問は残りました。犯人のクマは餌付け状態の人馴れ
したヒグマだということがわかりました。そして星野さんは、そんなクマが一番
危険だということを承知していたはずです。それなのになぜテント泊を続けた
のかということが最後まで疑問でした。何があったのだろう、何か特別なことで
もなければあの星野さんが危険なクマを承知の上でテント泊を続けるはずが
ない、きっと何か理由があったに違いない−−そういうふうに長く思ってきました。
誰かが悪者で、そんな人間がどこかにいたはずだと考えていたのです。でも
そうではなかった。今回のイゴールとの出会いを通して、そのような特定の
人物はいないことを確信しました。誰も悪い人はいなかった。しかし同時に、
正しい人もいなかった。あの夏あの場所にいた誰もが、星野さんの死に対して
何らかの責任を負っているのも事実ではないかと思います。誰もが有罪で、
誰もが無罪なのです。もちろん星野さん自身も含めてのことです。

 このような結論に行き着くまでに十年の歳月がかかりました。小説がどの
ように評価されるかわかりませんが、ぼくのなかではこれで完結したように
思います。星野さんの一人息子に翔馬君という男の子がいます。彼が大人
になり、父親の事故のことを聞ける準備ができたら、そのときにはじっくり話
して聞かせてあげられるのではないかと思います。

 つい先日のことですが、小説を書いていて行き詰ったとき、うたた寝のなかで
夢を見ました。その夢のなかに星野さんが現れたのです。不思議でした。久し
ぶりに話をしました。別れ際、といっても夢の中の話ですが、「今回はどこに
帰るの?日本?」と尋ねましたら、「いいえ、日本じゃあないんです……」と言い
ながら寂しそうに去っていきました。目が覚めて、夢だと判っていても、まだ近くに
星野さんがいるようで、その生々しさに胸が詰まりました。小説は最後の結論に
達するところでした。星野さんが励ましに来てくれたのかなと思いました。
    
 ぼくはもう少し生きるのでしょうね。もう少し生きることに何の意味がある
のかなと、斜に構えて人生を見ることもありますが、とにかくもう少し生命が
あるようです。生命を与えられている限り、やはり生きなければならないの
でしょうね。遣り残したことがあれば、逃げ出さずに挑戦してみようと思います。
勇気は、今後、そのように使って行きたいと思っています。
 またお会いできますように。
大山卓悠 拝
・・・・・・・・・
 その後大山氏から、300枚の原稿が届けられた。小説作りだとはいえ、
私の知らないたくさんのことが事実、史実に基づいて書かれてある。面白い。
これはいずれ出版されるだろうから、そのときに皆さんに読んでいただきたい。

本当に惜しい男を亡くしたものである。ほんとうに。

執筆者プロファイル

大山卓悠氏
1954年 山口県岩国市生まれ。
1979年 東京水産大学(現東京海洋大学) 卒業
同年 米国スクリップス海洋研究所 留学
1981年 北洋漁業協会勤務 対米漁業交渉に従事
1985年 アラスカ駐在
1990年 独立 以来アラスカ在住

柳谷千恵子
 和歌山県海南市出身、カナダバンクーバー在住
 万年候補作家、売れない絵描き、大工、映画マニア、コンピューターアディクト、
 個展八回、木賃宿Cliffrose亭経営、
 URL http://www.cyanagitani.com
 URL http://www.cyanagitani.com/B&BCliffrosetop.htm

「彼は星野に心酔していたに違いない。」の部分について大山氏からメールが
ありました。大切なことなのでお読みください。
  
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Love from Chieko Yanagitani in Greater Vancouver
E-Mail cyanagitani@shaw.ca
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